そぞろ食歩記

笑ったり食べたり浸かったり

義父の一周忌

先日、義父の一周忌を終えました。慌ただしく一年を過ごし、記憶が薄れるままなので、ここに備忘録として残しておきます。

 

昨年11月、日々の新型コロナ感染症の陽性者数の増加に恐々としていた頃、長く闘病していた義父が逝きました。眠るようにという比喩そのままの安らかな最後で、呼吸が止まったことに枕元にいた義母さえ気が付かなかったくらいです。かれこれ30年を超える闘病生活で覚悟は当にできていて、家族の悲しみはそれほどありませんでした。

当時、まだ新型コロナ感染症のワクチンが普及しておらず、義父の故郷である岐阜の親戚に上京してもらうのは憚られ、板橋に住んでいる伯父と家族だけで葬儀を終うことにしました。

義父の実家の宗教がお東さん(浄土真宗大谷派)、義母の実家がお西さん(浄土真宗本願寺派)と聞いていました。とはいえ、義父も義母も若い内に上京して宗教的なものとは一切関わりなく暮らしてきたので、いわゆる葬式仏教以上の関心はありません。でも葬儀をする気は満々で葬儀共済はしている。ほほお。

で、どうしたい?と義母にお伺いを立ててみると、「お墓はどうしたいか、葬儀はどうしたいかと(義父に)聞いたら『俺を殺す気か!』と怒鳴られた」と愚痴以上の返事がなかったので、ようやく腹を括りました。本件のプロジェクトマネージャーは私なんだなと。

 

葬式は地方色が出るので、同じ宗派であっても細部で異なることが往々にしてあります。葬儀場の往路と帰路は変えなくてはいけないとか、葬式の帰りに塩を振ったりとか、地元密着の習慣があるのです(浄土真宗は死を穢れとしないのになぁと頭に浮かびながらも、いちいち反抗しないのが大人のふるまい)。できる限り義父の故郷のやり方に則って葬儀をやりたかったのですが、親戚が上京しないことになり、そういった細かなしきたりの相談ができないままとなりました。親戚から不安の声が上がったら「長男の嫁が勝手に」と言いなさいと義母に伝え、最終的には葬儀社の定型に従って法事を執り行うことにしました。

そんな不安を抱えながら板橋の伯父様を車で迎えに行きましたら、喪服に門徒式章を着けてらしたので、道すがら話を伺うと、十数年前からお寺さんに通われていて法名を授かり、休日にはお遍路を度々歩いて三回も完遂されたとか。身近に大変信心深いお味方が現れたことで、お式も伯父様の通りにすればいいんだと私は大変心強く思いました。が、式の流れが家族の後に親戚となるため、伯父様を参考にする機会はありませんでした(涙)

本来なら葬儀に参列してであろう方々には、長男である私の夫の手紙に葬儀の写真を添えて送りました。

 

四九日までに納骨先を決めるため浄土真宗大谷派の寺院を探し、ご住職のお話を伺った結果、実家と私らの住居の中間にある本明寺さんにご縁を頂きました。
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スカイツリーが目印になるので、駅からお寺さんへの道順が大変わかりやすいのも納骨先の決め手になりました。

 

こういう機会でもないと宗教に関わることはないから、私も浄土真宗をお勉強します。
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日本仏教の特徴(最澄以来の伝統?)である本覚、「一切皆成」といった救済の平等性が前々から気になっていたましたが、『歎異抄』にだいたいの答えが書いてありました。半端に仏教かじると、お釈迦様は出家しないと成仏しないと言ったとか日本のお坊さんは結婚してるのが変だとか葬式仏教だとか、いろいろ思うことあるでしょ?そういう方は歎異抄をお勧めします。

 

3月27日、義母を伴って納骨式を行いました。住職さん自ら骨壷を納めてくださいました。
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住職さんがハシゴを降りる時、法衣に足を取られないか、現場経験者として「KY」したくなったのは心に秘めておきます。

 

四十九日と初盆は、住職さんにお足を運んでいただいて、実家の仏壇で法要していただきました。

浄土真宗はお盆に三角打敷と切子灯籠を飾るそうです。猫のいる狭い実家に巨大な切子灯籠を置くのが憚られたので、インクジェット印刷のできる和紙を買って手作りしました。
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組み立て式極小切子灯籠が完成。高さ35センチほど。
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法要の間、仏壇の横に老猫。
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この後、しばらくして20才を超える猫生を終えました。

 

そして、一周忌。本明寺さんで無事執り行うことができました。ちょうど前の週に早めの報恩講があって大変綺麗にお飾りがされていましたので、よいタイミングでした。

浄土真宗ですから、追善供養ではなくあくまで我々のための供養です。そうご住職さんから繰り返しお話いただいていても、実家では相変わらず、葬儀後に塩撒いたり盂蘭盆会でお茄子の馬作ったり仏壇に水をお供えしたりしております。阿弥陀様の教えよりも民族信仰の方が根強いのが、今の日本人なのでした。

 

浄土真宗の法要では、正信偈、念仏、和讃と回向を揃って唱和します。ご焼香は、抹香を掲げずに二度つまみます。この程度のことしか、まだ覚えておりません。少しずつ、法事を重ねながら学ぶ所存でございます。

 

最後、チューリップに喩えての「縁起」のご法話がありました。チューリップがあるための、太陽、空気、土、水、虫、その他諸々が関わり合って「生きている」と。
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京王線の電車内で無差別殺傷事件が起きたばかりでした。事件を起こした犯人も事件も、この社会が生み出したもの。ご住職のお立場からすれば、阿弥陀様を介してのご縁が、事件を起こした彼につながらなかったことを悔やむ思いでしょう。

 
 
 
 
 
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法事の後、近くのお蕎麦屋「寿々喜」さんで遅い昼食を取りました。
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法事後、参列できなかった親戚にはお手紙と写真で法事の報告をいたしました。