とんかつ八千代でアジフライ定食
本日の築地飯はアジフライ定食。おいしくて朝からご機嫌。
父島最終日とおがさわら丸(復路)
最終日チェックアウトした後、移動の便利を考えて小港海岸でゆっくり過ごすことにしました。
二度父島に来た結論で、ここが一番のお気に入り。
東京都最南端のバス停から二見港に移動。
ちょうどお昼時でお店が混雑していたので、時間調整で小笠原ビジターセンターへ。こちらについては、後ほど博物館ブログの方で。
父島一日目にも来た海遊さんで、お店のオリジナルメニュー包飯。
見るからに謎なご飯ですが、なんだか暑い日に食欲そそる味でした。
いよいよ父島ともお別れ。そろそろ乗船の時間です。
ツアー船に見送られながら、おがさわら丸は二見湾を進みます。
これ見ると、また来るよってつい心に誓っちゃうわけで。
とびきりの思い出ができました。ありがとう父島の皆様方。
おがさわら丸での復路は、特一等室です。ベッドがツインになっただけで、居住性はさほど特等室と変わりません。
冷蔵庫、空気清浄機、ポットがあって、アメニティも充実しています。
洗面室も同じレベルです。
往路で船体探検を済ましているので、この後は竹芝桟橋到着まで部屋に引きこもっていました。
夕飯は父島のお弁当屋さんで買っておいた島寿司。
これが一番のお気に入りです。
おがさわら丸から見た夕陽。この旅は、天気に恵まれて本当によかった。
台風が近づいた影響で、本土に近づくにつれて揺れが大きく、天気もあやしくなりました。明け方は雨が降っていました。
竹芝桟橋に定時15時半到着しました。
これにて、父島旅行終了。
父島三日目:海ツアー
三日目は、明け方に目が覚めました。まだ薄暗い扇浦。
よい機会なので、小港海岸までジョギングすることにしました。急な坂道は決して楽しい道ではありません。途中の農園にいるチャボたちが、道路を散策していました。のどか。
小港園地の遊歩道に、アカポッポ発見。
前日、あんなにジャングルを歩いて探したのに。時間帯の問題でしたか。
八ツ瀬川にも朝日が差しはじめました。
静かな海です。誰もいません。海亀もいなかった。
一度目の父島旅行は当時飼っていた犬と一緒でした。台風で大雨に降られたりしましたが、この海岸で少しだけ遊びました。当時を思い出しながら海を眺めました。わーわー泣いてしまうので、一人の時でないと思い出に浸ることもできません。
この日は海ツアーに参加しました。
外来種を無人島に持ち込まないため、丹念に靴裏の掃除をした後、小さなボートに乗り込みました。大村海岸から出発です。
まずは、二見岩のサンゴ礁で、船の乗り降りの練習をしました。
ドルフィンスイム
ボートに乗って15分くらいしたところで、イルカの群れに遭遇。
すぐさま準備をして、ドルフィンスイム開始です。
5回エントリして楽しい時間を過ごしましたが、防水袋の中でのスマホ操作に慣れず、液晶も禄に見ないまま撮ったのがこちらの写真になります。
兄島
その後、兄島に移動してシュノーケリング。天気はよいし、海は穏やかだし、サンゴ礁の海は文句なしに美しく、魚を追わなくてもプカプカ浮いていたい気分でした。
船の上から撮っても、これくらい底が見えます。
南島
兄島から30分くらい船で進んで南島へ向かいます。途中、父島の南端にあるハートロック(赤い崖)が見えました。
南島は桟橋がないので、船をぎりぎりまで寄せてもらって舳先から岩に直接降ります。南島は東京都自然ガイドの案内で、入島は一日100名まで、最大利用時間は2時間と制限されています。
元々は緑豊かな土地だったそうですが、ヤギの食害で植生が損なわれ、現在植生回復事業が行われています。
サメ池から入島し、上からは灼熱の日差しを浴び、無風の中、サウナのように熱せられた空気に包まれ、決められた飛び石の上を歩き、尖った岩を避けながら南島の東にそびえる丘を5分ほど登ると、この風景に出会えます。
閂島やジニービーチが見えます。
そして、振り返ると、映画のワンシーンのような景色。道理で熱いわけだ。この窪地に空気が溜まって温められるわけね。
眺めは大層良いのですが、この高台に立っていると、命の砂時計がサラサラと減っていくのがわかるほど。すぐさま降りて、あの水色の扇池に浸からなくてはと、体が訴えていました。
扇池はぬるいので、お風呂に入っているようでした。
扇池のある砂浜には、数百年前に絶滅したヒロベソカタマイマイの化石がいたるところで見られます。
楽しい時間が過ぎ、ホテルに戻ってシャワーを浴びながら体を点検したら、足や腕に青黒い痣が数ヶ所できていました。ドルフィンスイムで船に登るのに、酷くぶつけていたようです。そして、あんなに日焼け止めを塗っていたにも関わらす、ラッシュガードから出ていた部分が薄黒くシワシワになっていました。日差し強かったもんなあ。
そして、父島最後の夕陽。最後まで天気に恵まれました。
父島二日目:山歩きツアー
前日にあまりに多くのイベントがあったので、若干疲れ気味な、父島滞在二日目。
扇裏のビーチ。今日も穏やかな天気です。
この日は山歩きツアーに参加です。
まずは、前夜来たばかりの小港海岸へ。
小港海岸で海浜植物観察
海岸に続く森の中を歩いていると、ナイトツアーで見た巨大ヤドカリがわんさか。木のうろにたまった水たまりに集まっていました(ナイトツアーに参加しなくても、ヤドカリはいつでも見られるとφ(。_。*)カキカキ)
父島では、枕状溶岩(ピローラバ)がいたるところで観察できます。
海中で溶岩が固まった際にできる、円筒形の枕のようなものを束ねた形にみえる溶岩です。それが隆起したのが父島というわけ。
ここでは、ガイドさんの案内で、父島の海浜植物観察をしました。これは、ハスノハギリの実。
この実は、波で運ばれやすいように、ホオズキのような苞葉をもっています。ひっくり返してみると、底に穴があって中は空洞でした。
これは本土の砂浜でも見ることがある、グンバイヒルガオ。葉っぱの形が軍配に似ているから、この名前があります。
新しく島ができると、真っ先に流れてきて定着する植物のひとつです。
黄色い花はオオハマボウ。これも海流で分布を広げる植物の代表格。
オオハマボウは一日花なので、夕方には赤く色づいて落ちるそうです(写真を撮りやすいように、落ちていた花を葉っぱの上にのせました)。
小笠原ではこれが山にも分布して、しかも別の種に進化しているとのこと。
この後、車で移動して、父島最高峰の中央山へ。
中央山で乾性低木林観察
車を降りて10分ちょっとで山頂に到着。標高319メートルです。
北東方向の展望。左側は兄島で、中央右寄りに浮いているのが東島。
こちらパワースポットといわれているようです。確かに、ここにいると体がポカポカするけれど、そもそも照りつける太陽の日差しがキツくて、どこに行ってもジリジリと暑いのでした。
中央山は父島最高峰といわれていますが、それはあくまで「登れる山」でという話。南にさらに小高い地点があるのですが、そこは尾根の扱いなんだそうです。遠くではありましたが、父島固有種のオガサワラノスリが滑空しているのが見えました。
山頂から見た乾性低木林。コバノアカテツ-シマイスノキ群集です。
こちらが、砂浜で見たオオハマボウが山に定着し、進化を遂げたテリハマボウ(通称モクテンボク)。葉が小さくなり、葉裏もつるつるしています。
乾性低木林の主要樹種、コバノアカテツ。葉裏や新芽が赤褐色をしています。
下山して、初寝浦展望台へ移動。通信所跡でお弁当を食べた後、すぐ近くの竹ネイチャーアカデミーの管理する農場へ行きました。
父島の農産物
コーヒーの木。見づらいですが、枝に緑色の実が成っています。
ゲットウ(月桃)の花。フレグランスや石鹸などに使われています。
パッションフルーツ。
直接もぎ取って、新鮮なのを頂きました。
単眼鏡でイワシの魚群(赤矢印)と海亀(黄色矢印)を眺めました。とても肉眼じゃ見えません。
(黄色の矢印をつけ損ねましたが、右下隅のも亀っぽい)
アカポッポを探しに、サンクチュアリへ移動(移動ばかりしていますが、なにせ狭い島でのことなので、前日から同じ道を行ったり来たりしているだけなので、新しい景色が見えるわけでもなく、ちょっと飽きてきました)。
東平アカガシラカラスバトサンクチュアリ
東平地区は、父島固有種アカガシラカラスバト(通称アカポッポ)の繁殖地をノヤギやノネコの被害から守るためにフェンスで囲われていて、認定ガイドの案内でのみ入れます。
森の入り口で種子除去装置を使います。
外から種子を持ち込まないために靴の裏側をブラシがけし、テープ式カーペットクリーナーで靴やズボン裾をコロコロし、プラナリアの浸入を防ぐために木酢液を靴裏にスプレーします。固有種を守る仕組みが、大変勉強になります。
保護地域に入る入場者別(島民、ガイド、調査・研究、観光、行政・仕事)に石や珊瑚が用意されています。
「観光」の丸みを帯びた石を拾って、林内(ルート2)の筒に入れます。
森の中はまさにジャングル。
木生シダのマルハチ。
名前の由来は、葉柄の落ちた跡が丸に八の字(さかさまですが)のように見えるから。
黙々と30分ほど蒸し暑いジャングルを歩き、とうとうコアゾーンへ。
ここで行き止まり。最後までアカポッポを見ることは叶わず、引き返しました。帰りも、外来種グリーンアノール以外には、あまり動くものには出会えず、植生をメインに観察しながら歩きました。
最後に巽道路を末端まで行って、岩山へ。この時も行き先別に石を入れました。
岩山からの風景。
タコの木。
父島に生える唯一の針葉樹シマムロ。ここに生えていたのは樹高30センチくらい。かわいらしいものです。油が多いので炊きつけに使われていたそうです。
解散したのが16時前。一日森歩きツアーは移動につぐ移動で、案外過酷でした。前日のナイトツアーに引き続き、動物達との出会いが少なかったのも残念でした。
この日も夕陽がきれいでした。
父島一日目:ナイトツアー
ホテルで夕飯を取っていたら夕陽が沈んでしまいました。
日が暮れて、19時からナイトツアーに参加しました。この時期、ハネアリが大量発生していて、明りの下にいると顔にたかるほど。そして、電灯に集まってくるハネアリを食料とするヒキガエルが、電柱の下にわんさか。
道路をよくよく見るとカエルだらけ。カエルが苦手なツアー同行者の悲鳴が闇に響きわたり、必要以上にナイトツアーを盛り上げます。
オガサワラオオコウモリを探して農園等に行くも、暗闇を横切る影を見ただけで終わりました。この時期はムニンヒメツバキが島中咲いていて、オオコウモリが餌に困らないのだそうです。そのため、居場所が定まらないんだとか。20分ほど、いたるところにいるカエルを避けつつ歩きましたが、木にぶら下がっているのを観察することは叶いませんでした。
次は、小港海岸で巨大ヤドカリ観察。父島にはアフリカマイマイという世界最大のカタツムリ(外来種)がいるので、オカヤドカリが巨大化するらしい。この個体も掌サイズでした。探さなくても見つかるくらいいます。
小港海岸は星空日本一に選ばれたことのある星空観察スポットでもあります。この日は月夜だったので、残念ながら一面の星空というわけにはいきませんでしたが、十分きれいでした。
この後、グリーンぺぺを探しに山へ向かいましたが、雨の後じゃないと出ないらしく絶望的状況でした。
この日のナイトツアーは、結局、ヒキガエルと巨大ヤドカリで終わっちゃいました。
父島一日目:島内観光
穏やかな24時間の航海を経て、父島が見えてきました。
念願の父島上陸。竹芝桟橋は梅雨空でしたが、父島の日差しはまぎれもなく夏。まぶしい!
ちょっと歩いただけで、すっかり南国気分。
どこを見ても、青い!
この後、予定を入れているので、海に飛び込みたくなる気持ちを抑えなきゃいけないのが、もどかしいのですが、ここはひとまず落ち着いて、島一番の中華屋と名高い海遊さんで、あかばラーメン。
あかばとは、アカハタのことです。評判どおり、あかばの出汁がおいしい。
そして、食後にパッションフルーツのパフェ。
船で甘いものに飢えていたので、体に沁みます。これも、すこぶるおいしかった。別府旅行と違って先行き良いです。
普段の旅行では観光をほとんどせずに宿泊先でだらだら過ごす主義ですが、今回の父島旅行は(失敗したくないという思いが強くて)竹ネイチャーアカデミーさんにスルーガイドエコツアーをお願いしました。
そんなわけで、午後からは島内観光ツアーに参加です。
三日月山に向かう途中、大村海岸を見渡せるところで途中下車。
途中、戦跡を車内からチラ見しながら、ウェザーステーション展望台へ到着。
こちらは夕陽を眺めるには、一番のポイントだそうです。時期が違うので、さすがに鯨はいない。
続いて父島の北端、宮之浜園地。静かなビーチです。
海亀の産卵跡がいくつもありました。
木の幹にくくりつけてあるのは、トカゲの粘着式捕獲器。
父島では現在、外来種のグリーンアノールが増殖し、島の多様性に影響を与えているそうです。
他の場所でみかけたグリーンアノール。周りにあわせて色を変えるので、この時は緑色ではありませんでした。
外来種の侵入阻止と駆除の取り組みは、島中いたるところで目にしました。
車は東に向かい、旭平展望台、初寝浦展望台と進みます。いずれも絶景。
森の中には戦跡もあります。こちらは旧日本軍の通信所跡だそうです。
内部はかなり広く、二階建てだったもよう。すぐ近くに地下壕もありました。
道路脇の動物注意の標識がいちいちかわいい。これはノヤギのマーク。
こちらは、父島固有種アカガシラカラスバト、通称アカポッポのマーク。
車は山を降り、島の南側に進んでコペペ海岸へ。シュノケーリングによさげなビーチです。名前の由来は、昔コペペさんが住んでいたからだそうです。
次いで、父島の南北のちょうど真ん中あたりに位置する扇裏地区に来ました。ここには、父島を発見したと言われている小笠原貞頼氏を祭った小笠原神社があり、そのすぐ横に、無人島発見の碑があります。
小笠原貞頼は甲斐国小笠原(現櫛形町)に住した初代長清公から十七代の深志城主長時の孫に当たり。京都を経て三河国幡豆で成長し、信長・秀吉・家康の三代に仕え戦功を立てた。
説によれば
文禄元年(一五九二)朝鮮の役に貞頼軍検使たり。帰陣の際肥前名護屋にて家康の命に「貞頼小田原の陣より戦功あるも未だ旧地に帰らず家来も禄に不足せり。然るべき島国あらば手柄次第申し立つべし」と。かくて貞頼許可を得家康より官券を受け南海に出、文禄二年(一五九三)七月二十六日八丈の南に三個の島を発見、上陸巡検せるに土地広く人家無し、木標を二か所に樹て島毎に名を付し、帰りて地図・物産を献上す。家康大いに功を賞し総称を「小笠原島」と賜い永くこれを領せしめた。…などと伝えられている。
島内観光ツアーはこれにて終了。私らの宿泊が扇裏地区のホテルだったので、扇裏のビーチで解散となりました。